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ライトハウス

俺は好きなんだ。前作『ウィッチ』で、ベルイマン的な退廃と寂寞の中に宿る恐怖を描き出してみせたロバート・エガース。バランスが悪く不格好、決して完璧ではないけど、どうしても頭から離れない映画。『ライトハウス』を観てても、やっぱり歪だなあ、と思うけど、その徹底した美学と語り口の禍々しさに、所謂「商業映画的な完璧さ」を求めるのは無粋だなあとすら感じてしまう。壁の絵が語りかけてくるような、そんな厳然として霊的な意志がそこにはあるはず。

灯台守として人里離れた孤島にやってきた男二人。ウェレム・デフォー演じる年長の男は、ロバート・パティンソン演じる若者をこき使い掃除や重労働を押し付ける一方、灯台の灯りには決して触れさせようとしない。不満を抱えた若者。傍若無人で下品な老人。たった二人しかいない絶海の孤島で、二人は反発と協調を繰り返しながら、気づけば狂気の只中。戻ることは出来ない。

無口で、職務規約を遵守し数少ない娯楽である飲酒すら固辞していた若者が、嵐の中で徐々に調子を狂わせていく。いつのまにか彼を捕らえていた邪な想念が、単純作業の日常を異次元へと誘う。結果として彼を視点に語られているこの物語が、果たして現実のものなのか、妄想なのか、何を見せられているのか、ここがどこで、今がいつなのかすらあやふやなものとなってしまう。

どこにも辿り着かず放出され続ける精と、行き場を失って立ち止まった生。その澱みのような空間が、地鳴りのような霧笛の中で佇んでいる。用途に合わせて増改築を繰り返し、歪な形をさらけ出した住居家屋。屁を放る老人。夜中煌々と輝く光の奥に、異形の何かを想起してしまう禍々しさを湛えた灯台。そこかしこに死と性的倒錯の匂いが充満している。初日にベッドの中から掘り出した半裸の人魚像は、若者が日夜没頭する自慰行為の助けとなる。一方で、彼が目撃することになる幾多の死。水道ポンプからは血の匂い。水は、彼に死を引き寄せてくる。そして、嵐がやってくる。

正方形のフレームに窮屈に収められた全編モノクロームの光景は、非常に洗練されていて静謐である。冒頭、ほとんどかすかなノイズ、一面の灰色にポツンポツンと描かれた鉛筆画のような短い線の集まりが、徐々に二人を乗せた船の形を成していく。静かに佇む島に不格好に存在する家屋、そして灯台の上を、カモメの群れが飛び交う悪夢的なイメージ。ぬらぬらと禍々しさを湛えた魚介類のイメージ。願わくば、その究極であったラストシーンのイメージが、真に独創的であったならな、と高望みをしてしまった。しかし、それが達成された時に、ロバート・エガースは本当に傑作をものしたことにはならないだろうか。

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