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mid90s

主人公たちのグループには「4th Grade(4年生)」という渾名で呼ばれる「記録者」がいて、彼はいつもビデオテープを回している。彼の手に収まったビデオカメラのRECボタンが押されると、登場人物たちのフィクショナルな記録として、サバービアンの日常が丸いフレームに切り取られていく。4th Gradeが漠然と語る「自分の映画を撮りたい」という夢は、八方塞がりに見える現実を抜け出すための手段になるのかもしれない。

主人公スティービィー=サンバーン(日焼け)は、SNESで「F-ZERO」をプレイし、「スト2」のTシャツを着るようなガキ(演じるは『聖なる鹿殺し』のサニー・スリッチ)。辛うじて背伸びをしたとしても、兄イアン(最早「A24」専属俳優と見紛うばかりのルーカス・ヘッジズ)の部屋に忍び込み、そのCDラックを睨んでアーティスト名をメモるぐらい。その典型的な中流家庭のガキが、街でスケートボードを片手にたむろするちょっと年上の一団を見かけ、彼らへの憧れから、今までとは違う世界=ストリートに足を踏み入れていく。ミソジニーやレイシズムを内包したこのホモソーシャルの中で一目置かれるために、認められようと精一杯の虚勢を張り、背伸びをし続ける。

サンバーンとグループの関係性が徐々に深化していくにつれ、彼の行動は粗野で過激になり、家族との関係も軋み始める。彼を暴力で支配している兄は、ストリートに居場所を見つけたサンバーンにとって、友人も恋人もいない、孤独な尊敬に値しない男に見える。しかし幼い彼は(多くの不良少年同様)、その家庭環境を相対化するようなことをせず、あくまで「背伸び」、胃の中の蛙であり続ける。かくして、彼の歪な虚栄心と反抗心は、ストリートの物語に一種の綻びをもたらし、最低のどん詰まりが彼らにとって最良の季節、イノセンスの終わりを宣言する

俺たちのジョナ・ヒルによる初の長編劇映画は、スケートボードと、90’sカルチャーと、それを記録する「テープ」に対する偏愛で構成されたモニュメントである(作品自体、16mmで撮影されている)。もしくはMid 90’sの記録のイミテーション。存在しなかった記録で、存在したのかもしれない記憶を取り戻そうとする試み。最低の瞬間、最低の現状を忘れさせてくれるかのような、完璧で美しいかけがえのない記録がテープに刻み込まれている(完璧さ、美しさについての解釈は、人それぞれ違うだろうけれども)。形を持たず、不安定で定着しない朧気な「記憶」ではなく、粗いが嘘のない定着した「記録」が、おそらくどん詰まりに見える彼らの未来をほのかな明かりで照らしてくれるのだ。

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